おススメ情報局

気ままな日記と、おススメ情報をお届けします! (たまにおススメでない物も・・・)

情報教育

タイピングが苦手な生徒、その後

26176685


先日、タイピングが苦手な生徒のご紹介をしましたが、今日の授業では一生懸命に取り組んでいたので、

「タイピングが苦手だと思っている生徒も中にはいると思います。でも、10分以内で打てるタイピングの文字数で成績は付けます。だから、頑張ってください。

でも、それだけだと最初からあきらめちゃう人も出るかもしれないから、努力した分を評価することにしました。

3学期にエクセルの授業をします。

タイピングの文字数を折れ線グラフにします。そこで、伸び率が高い人のグラフには加点しようと思います。

どうですか?」

生徒「・・・・・」

私「現在、1000文字を打てるAくん、君は2倍の2000文字って行けると思いますか?」

A「いや、無理ですって!2000文字は・・・」

私「じゃあ、今200文字しか打てていない生徒が400文字とか500文字って現実的だと思いませんか?」

A「・・・・。全然ありです!」

私「そう。今、苦手だなって思っている人、自分の伸びしろを考えてみて。君たちには伸びしろしかないから。めっちゃ有利な状況を作ってあげるから、あとはそのチャンスをものにしてください。」

その時、生徒の半分くらいの顔が明るくなったのを感じました。


授業の最後に、課題を出して出来上がった順にタイピング練習をしても良いと言ったら、みんなタイピング練習をしていました。


やればできるという体験と、とりあえず苦手な物にでもチャレンジしてみようかなっていうチャレンジ精神を伝えることができればよいなぁって思います。


ちなみに、授業の終わりに先週弱音を吐いていた生徒が私のところに来て

「先生、先週よりも30文字多く打てました!」

と言いに来てくれました。








タイピングが苦手な生徒・・・

26194083


連休明けの授業で、冒頭ではタイピングの練習、その後ワードの項目でした。

ワードといっても、操作だけやるわけではなくどうしても入力にはタイピングが必要になります。

途中、どうしても何名かの生徒の入力が遅くて、入力を待つ状態になったので、大学生に

「悪いけど、遅い生徒の入力は手伝ってもらえないか」

と伝えて、入力を大学生のアシスタントにやらせて授業を進行しました。



授業が終わった後で、入力が遅かった生徒から

生徒「先生、どうしてもタイピングが苦手です。授業についていけないかもしれません」

と相談されましたが、

私「タイピングだけは練習しかないと思う。自宅に練習できるパソコンやキーボードはないですか?」

とお聞きしましたら、

生徒「実は、自分の家はパソコン教室で、環境的には整っていると思うのですが」

私「・・・・」


どうなんでしょ?

私「そりゃあ、練習できる環境があるなら練習してきなさいよ。今のままだと自分が困るよ。タイピングだけはせめて10分間で300文字は打てるようにしておかないと、大学で困るからね」

と伝えました。



お仕事で使わないとか、生活の中で使う機会のない方にまで練習するようには言いません。

でも、まだ高校生で将来どんなお仕事に就くか分からないし、理系の大学に進もうとしているならタイピングの速度は最低限、授業で一人ぼっちで置いておかれる状態にならない程度には打てることが必須だと思うのです。

大半の生徒が入力できて、その一人の生徒のために授業の進度を遅くするわけにはいきません。

そのために授業の最初にはタイピングの練習時間を設けているのです。

その時に真剣に取り組まず、安易にギブアップすることは、私は許しません。



私「タイピングだけは、練習だよ。できないと相談に来る前に、どうしたらできるようになるのかを考えて、その方法が分からないなら、その方法を聞きに来なさい。君にはまだまだ無限大の可能性しかありません。自分を信じてまずはやってみようね。」

と少し突き放すように伝えました。



それにしても、自分の子どもたちを考えると、親がパソコン教室の講師だと思えば、必死になって二人とも練習していたのではないかと思います。

それとも、親に対する反抗なのかな。。。

少し注視しながら、授業を進めようと思いました。



今ならまだ間に合うと、私も自分を信じて。







「元気になりました!」と言われました

26397256


昨日、非常勤講師として勤務している学校での授業が終わり、職員室のタイムカードを押しに行く途中での出来事でした。

廊下で見覚えのある生徒と遭遇。

生徒「あれ?先生!お久しぶりです!覚えていますか?Sです!」

私「覚えているよ。だって、3月まで授業していたじゃない(笑)」

生徒「良かったぁ。」

私「元気だったかい?」

生徒「あ、あのぉ、さっき実はスマホをどこかに置いてきちゃったみたいで、落ち込んでいました」

私「え?!ほんと?今日?」

生徒「はい。。。ついさっきです。」

私「誰かに借りて電話してみたの?」

生徒「はい。。。でも電話には誰も出てくれませんでした」

私「そっかぁ。でも iPhone だったら『探す』機能が付いているし、大丈夫、出てくると思うよ」

生徒「なんか先生に会って、先生の声を聞いていたら、やたら元気になってきました。先生の声って不思議ですね。力が湧いてくるっていうか。。。スマホも出てくるような気がしてきました」

私「なんだい、それ(笑)。でも、信じていれば出てくるから。もしも困ったら連絡頂戴ね」

生徒「はい!」

私「だって、君たちは『運が良い』のだから。」

生徒「そうですね!」



生徒に「元気になりました!」

と言われて、私の方こそ元気になりました。



この生徒、3学期の最初に

「先生!3学期は真剣に頑張ります!」

私「今まで真剣じゃなかったのかい?(笑)」

と言わせた男子学生。

本当によく頑張って、分からないところは私のところに聞きに来て、結果的に情報の成績は10段階評価で見事に『10』を私に付けさせたんです。


毎年恒例の「運がよくなる方法」を授業の合間に

1183997


昨年の授業でも、高校生たちにお話ししたことなのですが、「運がよくなる方法」ってみんな興味があるみたいですね。

で、今年も恒例のように話してあげました。


「皆さんの中で『自分は運が良い』と思っている人、手を挙げてみて」

「そっか。」

「じゃあ、逆に『運が悪いなぁ』って思っている人は?」



いつもパラパラとどちらにも何名かずつ手が挙がります。もちろん、こちらの質問の意味を判別できずに裏の意味があるのかと勘ぐって手を挙げられない人も。(笑)

これ、いろいろな本を読んでみた自分の中での結論めいたものなのですが、私自身は『運がよくなる方法』を知ってしまったので、なるべく若い時に教えてあげたくて(笑)、どうしても高校生にお話ししちゃうんですよね。

しかも、これをこれから一年間の授業をさせていただく生徒には早い段階で教えてあげておくと、私自身も授業がやりやすくなるので。



では、結論から。

物事、事象や出来事の起きる確率は、自然発生的なものには『人』による差が無いというのが結論なのです。

でも、運が良いという人と運が悪いという人が存在します。

事象の起きる確率に差が無くても、人によって「運が良い」「運が悪い」は存在しちゃうんです。

どうしてでしょうか。



それは、その人の捉え方だからです。

起きた事象を「運が良い」とか「運が悪い」とか評価するのが人なのです。

で、ここから。

じゃあ、運が良いとか悪いとかっていうのは、何も関係ないよねって話しじゃないんですよ。



自分のことを「運が良い」って思っている人って、本当に些細なことでも「あぁ、運が良かった」って感謝する気持ちを持っているんですよね。

生徒に話すときには、駅から学校までの間の信号の話しをします。

信号が「赤」になって横断歩道を渡ることができなかった時、運が良い人は

「あぁ、急いで渡ろうとして車にひかれなかった」とか「急いで渡らずに疲れなくて済んだ」「赤信号のお陰で立ち止まって友だちとおしゃべりができた」など、プラス発想をすることができます。

でも、運が悪い人って

「あぁ、せっかく青で少しでも早く学校に行きたかったのに」とか「急げば渡れたのに途中でもう少し早く歩くんだった」などのマイナス発想をしてしまうのです。


で、例えばクラスの仲間や担任の先生に対しても、

運が良い人:好い仲間に恵まれた。良い先生に恵まれた

運が悪い人:仲間に恵まれなかった。先生に恵まれなかった

と、差が出てしまいます。



当然、心の中でのそんな「思い」の違いは、表情にも出てしまいます。

要するに、運が悪い人って「他責思考」なんですよ。

だから、生徒には

「皆さんは自分のことを『運が良い人』と信じるようにしてみてください。自然と運がよくなりますから」

と伝えます。



最後に、その授業の締めくくりは

「私は、皆さんと学ぶ一年間、とても幸運に思っています。お互いに良い授業になるように、協力し合っていきましょう。私は皆さんと巡り会った幸運に感謝しています」

と結ぶのです。(笑)



毎年恒例の「運がよくなる方法」の授業、いかがでしたか?





相対評価と絶対評価

23132483


昨日、生徒の成績をパソコンに入力して、今年の非常勤講師としての任務を完了しました。

それにしても、私の担当した生徒たちは成績が良かったです。



昔(私たちが学生の頃)は、相対評価だったので成績が10段階あったらクラス内でのそれぞれの評価の割合が決まっていました。

どうしても「1」とか「2」が付けられてしまう生徒がいました。

反対に、テストの得点ではとても僅差でも「10」なのか「9」なのか「8」なのかで悲喜こもごも。



今は、絶対評価に変わったので、私の受け持ったクラスは平均で「9」になっちゃいました。(笑)

3クラスともに。

それも、仕方がないのです。

20クラスほどある中で、同じテストを実施しているから、私の担当する理系進学クラスは平均点が他のクラスよりも良かったのだから。

それでも、学年全体ではバランスが取れています。

だから、絶対評価ではそれで良いそうなのです。

もしかして、クラス間の学力差が大きい場合は、クラスによって成績の差が大きくなるのは自然なのかもしれません。



私たちの学生時代には、学年内の学力差が小さかったから、それも仕方がなかったのかもしれないし。。。

それでも「1」とか「2」とか付いたら、やっぱり凹んで勉強する気がそがれてしまうかもね。

そう考えたら、今の絶対評価の方が合理的なのかな。



成績を付けながら、なんとなくそんなモヤモヤがありました。










プロフィール

キリマンジャロ

「パソコン教室」と「PCサポート事業」を経営。
仕事では愛車のバイクで駆けつけます。
趣味はツーリングと、軽登山。
町内会長もやってます!

QRコード
QRコード