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私は、小さいころに「じゅく」と呼ばれる場所に行ったことがありません。

私の子供たちは、中学生になって初めて高校受験のために「塾」に行きましたが、その後はそうした場所とは無縁でした。



そもそも、子どもたちに「じゅく」って必要なのでしょうか。

その「じゅく」で学ぶものは、受験の方法論に偏ったりしていませんか?



最近、ロボット教室を通じて子どもたちとかかわるようになって、「教育」について間違った解釈をしている親が多いことに驚いています。

目標がとても近視眼的な親が多いのです。



最近のCMで大嫌いなのが、「塾選(じゅくせん)」です。

親がめっちゃあおられるじゃないですか。

子どもなんて、本当は勉強なんて嫌いなんです。

ここで私が言う「勉強」って、試験で良い成績を取るための方法論です。



本来の勉強って、知識欲を満たすものでなければならないと思っちゃうのです。

そのために必要なのは、知りたいと思わせることだったり、興味を持たせることだったりするのですが、テストで良い成績を取るために特化した「じゅく」って、単に子どもに成績の下駄をはかせるだけのことではないかと思うのです。

その子どもが大きくなって、親の敷いたレールから外れて、自分で生きていかなければならない環境になったとき、そこで学んだことは役に立つのでしょうか。



私は、ロボットやプログラミング教育を通じて、子どもたちの問題解決能力を伸ばしてあげたいと考えています。

困難なことに遭遇したときに、それを自分で解決する能力を身につけさせたいと考えています。



残念ながら、小学校の高学年になると、何名かの生徒が「受験」のために好きなロボット教室を親の意向で辞めていきます。

どうか、親はもう少し子どもを信頼してあげて欲しいと思います。

受験のテクニックをたくさん身に着けても、実際の世の中では通用しません。

そんな不幸な人を何人も見てきました。

私自身、一流大学を卒業したわけでも何でもありません。

町内会でよく見る「以前、一流企業の〇〇株式会社にいました」みたいな人になっちゃだめだとおもうのです。

所詮は、大学も人生の一つの通過点にすぎないので、そこにあまりにも重きを置いてはいけないと思うのです。

普通に学校で勉強して、普通に遊んで、自分の好きなことを見つけて、夢中になって。

親が敷くレール、どうにかならないかな。