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町内会長をやっていると、いろいろな情報が来ます。

今日も、町内区域内での水道工事のお知らせがあり、付近の住民には説明するが留守宅には書面だけ入れるのでフォローして欲しいという。

その他、小学校や中学校の通学路について、要望があれば聞くという。

また、近隣小中学校の運動会にも招待されます。



ふと、町内会の存在意義を考えることがあります。

最近思うのは、住んでいる住民のためというよりも、行政や工事を進める人たちが、情報を共有するための窓口の役割が大きいと思います。

そう考えると、行政からの依頼事項の多いこと。

やれ、選挙があれば投票管理者、投票立会人、投票従事者を選任しなければなりません。

国勢調査があれば、調査員を選任します。民生委員もしかり。

いろいろな場面で、都合よく使われているとも言えます。



「今まで通り」という先入観から思考を放棄した状態、もしくは町内会の役員や会長が一年交代の町内会や自治会は、それが必要なのかどうか、お断りしても良いものかどうかの判断もつかないのが現状ではないのでしょうか。



これからの町内会を考えると、こうした現状を少しでも多くの役員や会員に情報共有して、不要な物はどんどん省略する方向で次世代にバトンタッチしなければ、増えるばかりだと懸念しています。

理想が高いことは大いに結構なことですが、現実に合わせることも必要です。



例えば、防災訓練。

何度も書いていると思いますが、大人数分の炊き出し訓練など、ナンセンス。

もちろん、町内会として発電機や燃料などを蓄えていざというときに備える必要は感じますが、今どき、数十人分の炊き出しをすることの不合理に気付かないでいるお年寄りの多いこと。



町内会の存在意義を、再定義しなければならない時期に来ていることを実感しています。